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弥生時代の創作と史実 その1 武器について
「物書きは、作品のなかですべてを語るのだ~」というのが身上であるべきと思うのですが。

「創作と史実の境目は、わからないほうがいい」とも思うのですが

著作「天涯の楽土」に関して、玄人の方の鋭いツッコミや、「この時代についてもっと知りたい」というお問い合わせなどもありまして。
あまりネタバレにならない程度に、弥生時代に関する作成ノートQ&A的なことをしてみたくなりました。

ツッコミその 考古学的なこと

弥生時代の武器で出土しているのは「剣、矛、戈(か)」で、作品中に使われている「槍」は当時の時代の武器としては出土していないのでいかがなのものかと。

あうっ

そうなのですが。ファンタジーは好きだけど、歴史はちょっと、という読者層の開拓も目指していましたので、知名度の低い「戈」と東アジア特有の武器で、使用されていた期間も短い「矛」だと「槍」との構造の違いをご存じない方もおられることと、本文内の説明や描写が難しかったから、というのが「槍」をメインの武器に据えた一番の理由です。

「槍」も「矛」も英語だと「spear:槍/鎗」ですし。
「矛」にいたってはその形状から別名「袋槍」とも呼ばれるなど「けっきょく槍じゃないの」というオチもあったり。

矛と槍の違いは、長柄に取り付ける部分の形状なのですね。
「槍」は接合部が「茎」と呼ばれる細い棒状になっていて、柄の中に差し込んだり、挟み込んだりします。
「矛」は接合部が「袋」と呼ばれる穴になっていて、そこに柄を差し込むようになっています。

「矛」は中国で使われていたものが、東アジア一帯に広まった、東洋特有の武器だそうです。
日本では弥生時代から奈良時代まで、「矛」が正式な武器だったようです。
じゃあ、中国から「矛」が導入されるまで、長柄の刺突武器、猟具がなかったかというとそれもおかしな話。
長い棒の先端を尖らせただけの「槍」や、石器の槍穂をそなえた「槍」は、日本にもナウマン象を追っていた時代からあったはずで、出土してないからといって、存在しなかったと考えるのもいかがなものかと。
それに「鏃:ぞく」と呼ばれている石器、青銅、鉄の「矢尻」ですが、どうみてもナイフとか短剣の長さのもあって、これは槍として刺突武器として使ってたんじゃないの?
という遺物も多く。
この「矢尻」には長すぎる、重すぎる「鏃」を「槍穂」認定しないのは「茎」の部分が細くて短いため。
柄に差し込んで戦闘に使用するには、茎の部分がしょぼすぎるからなのですが。
石器時代にはあったはずの槍、中世から完全に矛に置き換えられた槍がその間の時代にまったく存在しなかったと断言するのは、かなり無理があるかなーと素人なりに思うのであります。

そして「」について。
柄に対して短剣的な刃が直角につけられた、斧や鎌のようなものと考えていただきたいです。
実は、土器や銅器に残されている線画や、出土品の中では、この「戈」の出現率がかなり高いのです。
発祥地の中国では走る戦車の上から、すれちがいざまに敵の戦車の御者や兵士、あるいは騎兵や歩兵の首を刈るための武器なのですね!
だから、柄も長く、刃渡りも長く死神の鎌の如く恐ろしい武器です。
が。
日本の弥生時代には馬も戦車もありません。
だけど「戈」は輸入されました。
日本人の特性として、なんだかよさげなものは小さく運びやすくしまいやすくする、コンパクト化が進むというわけで。
日本の「戈」は小型化して刃渡りも柄も短く、角度も中国の鈍角から日本製の鋭角となり、盾をもち、利き手に戈をふるって白兵戦に使用される武器となりました。
本場では水平に敵を薙ぎ払う武器だったのが、日本では上から下に振り下ろして敵を引き倒すものになったようです。日本人の発想の直角な転換に、当時の中国人もびっくりしたかも。
しかも、金属資源が足りなかったためか、石器の戈まで出現。
技術の逆行ともいうべき現象ですが、それだけ「戈」が人気のあった武器だったのでしょうね。

天涯の続きを~
とか、
倭国大乱の時代を~
とか、
卑弥呼の少女時代の話を~
といった、ありがたいご意見、ご要望もありますので、矛とか、戈も使いこなす「もっと、弥生」な作品をお届けしたいと筆者は切に願っております。

お読みいただき、ありがとうございました。
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弥生時代の創作と史実 その2 鷹士のご先祖様
「天涯の楽土」を読んで、鷹士ファン宣言されたKさんに、突っ込んだ質問をされまして。

「鷹士のご先祖のコウマ族って、高麗かなんか?」

いやいや、その時代まだ高麗は存在してないです。
たしかに、高麗って「コマ」って読むんだった(;´∀`)

正直なところ、公募執筆中は特定の民族は設定していませんでした。
なんとなく、満州あたりの女真族の先祖みたいな。
鷹士の顔立ちも、清朝の皇族の写真にあるような、細い顔に細い目に細い鼻と細い顎というイメージです。

出版のため、改稿にあたって、もっとはっきりした設定のために地図とにらめっこしました。
現在のロシア領沿海州のツングース民族には興味深い名前の民族がたくさん。
なかでも
オロチ族!
ヤマタノオロチに関係あるのかしらん、と短絡的に思ってしまいます。
オロチ、オロチョン、エヴェン、エヴェンキ、内陸の西にいくと、モンゴルに近いブリヤートとかヤクートとか。

騎馬民族にしたかったのですが、作中のコウマ族はモンゴル風な天神崇拝よりも、中華よりの八紘宇宙の思想とか、城郭国家に詳しかったりするので漢に朝貢もしていた半農狩猟民族、南方ツングース系に比定。
現在の中国領満州から、ロシア領沿海州、シベリアにかけて居住していた、狩猟民族ツングース族。
そのなかでも、匈奴や中華諸国の間で翻弄されていた南方ツングース族は、遊牧騎馬民族ではありませんが弓技に優れ、気性猛々しい東夷民族でした。
日本の縄文弥生と同じ、竪穴式住居にお住まいでした。

中国の史書には、服も着用せず、家畜の豚と同居する野蛮で不潔な民族と記録されていますが。
そこは創作脳で補正してもよいかと。

沿海州に舜の時代から前漢まで沿海州にいたとされる異民族
粛慎(しゅくしん)

挹婁(ゆうろう)

勿吉(もつきつ)

靺鞨(まつかつ)

渤海(ぼっかい)

女真(女眞、じょしん)

群雄割拠

清帝国

満州

ロシア→ソ連

ロシア/中華人民共和国

沿海州は、実は日本にとても近いのです。
平安時代には、半島の新羅や大陸の唐よりも、沿海州の渤海と仲良く国交していたくらいです。
西日本は弥生文化、東日本は縄文文化の名残が強いと指摘されますが、東日本の社会的文化は、ツングースっぽい風習や世界観の痕跡があります。
最近では滋賀県の遺跡から中華からも半島のでもない型の、騎馬民族が使っていた剣が出土して考古学者が「ありえない、にせものかも」と困惑のコメントを載せてましたが。
縄文時代から、シベリアや沿海州の、北方の大陸文化が日本海を越えて直で輸入されていたとしても、別に不思議じゃないですよね。

弥生時代の創作と史実 その3 弥生時代のシャーマン女王とか
感想をもらうと嬉しいですね。しかもそのご感想がスポッとツボにはまるとしばらく楽しめます。

とても楽しくなる質問をいただいたので、お返事いたします。

ネタバレかもしれないので、たたんでおきます。











以下、お返事と考古学的トリビア
続きを表示する
弥生時代の創作と史実 その4 名詞とか、地名とか、名称など
時代が時代ということで、単語や地名などには非常に気を遣います。

たとえば『筑紫』は『津櫛』で『阿蘇』は『阿曽』なのに、『伊予』とか『秋津』はまんまなのね(広島・Fさん)

地名は、由来がはっきりしていて古代まで遡らないものは使えないわけでして……。
たとえば、『有明海』などは非常に新しく、近代以降なんですよね。
有明海と呼ばれる前は 有明海はなんて呼ばれていたのでしょう。
調べてもよく分かりませんでした。ので、適当に命名。

『筑紫』というのは、奈良時代の律令時代にすべての国名が漢字二字に制定されたときに採用された雅字なので、この二文字が『ツクシ』という和語の意味を反映しているかどうかはあやしい。

万葉集では一文字一音あてて『都久志・都久之・都久紫・豆久志』としていますが、意味不明ですね。
諸説では三つくらいあって。
以下ウィキより引用
1、国の境に荒ぶる神が居て往来の人が命を落とす「命尽くし」の神
2、死者の弔いのため棺を作ったところ山の木々が無くなったという「木尽くし」
3、国の間の坂が険しく鞍が擦り切れるため「鞍尽くし」


(2)については、木を棺をするのは弥生時代以前は一般的じゃなかったので没
(3)については、鞍を使う馬が交通の手段になるのは古墳時代以降なので没
で、(1)についてはそれっぽいですけど、この神様の正体は不明。

どれも、一国の、ひいてはのちに九州島の古名として冠されることとなる地名の起源には、いまひとつですよねぇ。創作脳が刺激されない。
というわけで、篠原的に、字を分解して、音の持つ和語の意味を補足してみました。

『ツク・シ』上の三説そのままですね。パス!
『ツ・ク・シ』『通/津/都・苦/九・死/四/師』混乱してきました。パス!

『ツ・クシ』

吉野ヶ里のように、筑紫野の水系と有明海は水上交通の要所でもあったわけですから、津(港)は海岸や川沿いに櫛の歯のようにたくさんあったと想像に難くない。
そして、その繁栄をそのまま国の名として呼んだと考えるのが自然。

なんでだれも気がつかないの?
と、ひとりドヤ顔で『ふふふん』と思っておりましたら、どこかのシンポジウム資料に『津・櫛、地形由来説』がありましたわー。
残念。提唱者にはなれませんでした。

また、小物なども、たとえば足首から膝の下を布で巻いて、長時間の歩行からむくみを予防し外傷から脚を守る『ゲートル・脚絆』ですが。この『脚絆』という名称は室町時代からと明確にわかっているので、使えません。
しかし、徒歩が唯一の移動手段で、一日の移動距離も現代人の想像を超える時代に、脚絆がないのは変ですよね。
あったにちがいない。
でも名前がない。
作ろう、で、すねに巻く布だから『脛巻き』
それでも創作家か? ってくらい、ひねりがありませんね。
すみません。
造語はわかりやすさが必定なので、漢字を見ればわかる、というものでないと……。

あと、昔から日本にあったのに、野生の動植物として新しい印象がするもの。
作中の「ヤブイチゴ」は実は最初「木苺」だったんですが、脱稿して公募前に読んで下さったネッ友さまが
「木苺って、日本にあったの?」
「……あったけど。確かになんかしっくりしないね」
ラズベリーはたしかに西洋原産で、在来種の低木性イチゴとは違うのかもしれないし……。
ベリー系には外来種との交配で広まったのもあって、在来種との境目がわからなかったりしますから、品種としては存在しない「ヤブイチゴ」なる名称を発明。
読者様によって、森を歩いたことのある方にはいろんな種類のベリーが想起できるとよいなと思いました。
篠原的には、いつも夏になると川岸にたわわに実っている「ブラックベリー」です。
赤いうちはすっぱくて、真っ黒になると甘くておいしく、食べているうちに手も唇も舌も紫色になってしまいます。
でもこれも、西洋人の好みに合わせて栽培されてきたものが定着して、拡散した品種なので、日本に昔から生えていた野性の木苺系とは、ちょっと違うかもしれません。

というわけで、全部は説明できませんが、指摘されたところだけ、メイキングの一部として紹介させていただきました。

縄文時代からあったはずなのに、存在と名称が失われてしまったもの<堅果類のパン(麺麭)>
昔からあったはずなのに、名称が置き換わってそれ以前の名前がわからないもの<脚絆>

こういった言葉の起源リサーチや検証・考証に、一日から数日かけることもよくありますが、それはそれで発見があって、楽しいです。
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