FC2ブログ
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
「こころ」夏目漱石著 再読
二十ン年ぶりに読み返しました。

若いときに読んだ古典や名作などは、年をとってから読むと別の感慨や感想があるということですが。

この「こころ」は……いまになって読むと、。

なんか腐の香りがする

私→先生、先生→K、K→先生とか。

ま、それはこっちに置いておいて。

明治大正文学は仮名遣いが古くて読みににくいという印象がありますが「こころ」は二十年前もいまもさらさら読めるお話です。
夏目漱石氏の著作は他にもいろいろ読んだはずですが、読了して内容もきっちり覚えているのは「こころ」だけ。

内容が衝撃的だったというのもあるかもです。
私はなんかこういう悲劇的な、罪の意識とか、倫理的に苛まれるお話が好きなようで。
人間の業とか、救いのなさを描いた小説ほど引き込まれてしまいます。

遠藤周作氏の「海と毒薬」「沈黙」「私が棄てた女」なども、いつまでも忘れられない著作です。

最近はライトで面白ければいいという小説が流行って、昭和世代には物足りない感じがしますが、流行は巡るものですし、厭世的な小説もまたそのうち需要があるかもしれないですね。

「こころ」は明治人の書いた大正時代の小説といっても、そこに描かれた人間像はその時代の価値観の中に生きながらも、どの時代でも共感できる普遍的な「業」を抱えていることを思い出させてくれるのではないかと。

だから名作と呼ばれるんでしょうね。

小説書きになって再読して思うのは、この「こころ」の本題と真骨頂は後半の「先生の手紙」にあって、前半の「私」と「先生」の交流や「私」の家庭事情など、現代の小説感では「本題まで長すぎる」「物語が動かない」「だるい」「冗長」「必要ない」とか切られちゃうんでしょうね。

でも、「先生」の生き方や苦悩というのが、この「私」と「先生」との世代間落差や、明治から大正へ移り変わるときの生活観、時代観を反映させた上で成り立っているわけなので、この前半をなくしちゃうと単なる「先生」の告白暴露になってしまって、小説世界としては薄いものになってしまう。

まあ、私が公募のために書いているのはエンタメが主なんで、名作を書いているわけではなく。
やはり冒頭や前半を、世界観を語るためだけに費やしているようでは、いつまでもプロにはなれないことはわかっているんですが。

それにしても、Kはなんで自殺したんだろうなぁ。
失恋したから、というよりも、唯一信じていた親友に裏切られた、ということのほうが、深い気がする。
だから先生も生涯自分を責め続けたわけなんだろう。

女性にふられたからでなく、親友に裏切られたということが、Kを深く傷つけたのだとしたら。
Kが精神的にどちらにより依存していたか、というのは自明なわけです。
なんて。

そんなところに腐とか漂っているかなー(苦笑)

Comment

管理人にのみ表示する


Track Back
TB*URL

Copyright © 星宿海. all rights reserved.
Design by Pixel映画山脈

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。